従業員の叫び
出る杭は打たれる

這い上がってきた男のリアルストーリーを 聞いてくれ!

這い上がってきた男のリアルストーリーを 聞いてくれ!

株式会社プロフィットラボラトリー
取締役 水越一樹

平成19年テンポスバスターズ入社
テンポスバスターズ川口店C館配属

千葉店 店長
売上が伸びない
新潟店 店長
売上が伸びない
テンポスジョブサイト立ち上げ
期日までに立ち上がらない
テンポスドットコム通販
体調を崩す
休職(1ヶ月)

プロフィット・ラボラトリーに転籍

マネージャー

(1年後)チーフマネージャー

(2年後)執行役員

現在 取締役

これまでの経歴をお聞きしましたが、もう少し詳しくお聞きしてもよろしいですか?

水越(以下M) 大丈夫です。過去のことすべてお話しますよ。テンポス内で僕がどういうふうに言われているかも、だいたいわかってますから。

店長時代はどのような社員だったのですか?

M 目標は100%クリアしていました。しかし、圧倒的な成果を上げることができなかった。店舗って店長次第で繁盛店になるか、ならないかが決まるんですよ。その点では店長としての存在感を示す数字が作れなかったということです。そもそも業績が良くない店舗だったものですから、ゆっくりと立て直そうと考えていたのですが、テンポスが求めるスピードと違っていたんです。ふつう、先月と比べて今月はどうだったか、ですが、テンポスは昨日に比べて今日はどう変わったか、昨日より今日は何ができるようになったか、ですよね。単位が一日なんです。

その当時、どのようなモチベーションで仕事をしていたのですか?

M 入社当時は店長のために、店長の時は一緒に働いているみんなのために、といった感じで〇〇さんのためにという気持ちで頑張れたように思います。そもそもは飲食が好きなので飲食業界の役に立ちたいというのが基本にありました。しかし、今にして思うと、自分では頑張っているつもりでも、周りからは頑張っているように見えなかったんだと思います。その結果、営業は数字ですから、テンポスドットコムに移動して、通販オペレーター業務をやっているとき、自分でも目標が見つけられなくなってしまいました。

その時の目標とはどんなことだったのですか?

M あの時は「~~さんのために」というのがなくなってしまったので、喪失感が大きかったように思います。今振り返ってみてそう思いました。

それで体調を崩してしまったのですか?

M そうですね。一か月休職させていただいたのですが、あの時は仕事のことは全く考えませんでした。虚無感というか、なぜわかってもらえないのだろう・・・なんて悶々としていましたね。

テンポスを辞めるという考えはなかったのですか?

M 異動を命じられた時、断ることもできたんです。でも断らなかったのは、その都度人のためになりたい、頼むぞと言われたら断れない性格なんですよね。でも、断ろうと思わせないくらいテンポスには魅力的な人がたくさんいるということでしょうか(笑)。だから辞めようとは思わなかったです。

それで、プロフィットラボラトリーに移られるのですね?

M そうですね、これからどうしようかな、と考えていた時にちょうどPラボラトリーがテンポスの子会社になって、テンポスとPラボとをつなぐ人が必要だからということでお声がけいただきました。

環境が変わって、水越さんのなかで何かが変わったのですか?

M まず、社長の平川からは、慣れるまではということで最初の3か月は特別な環境で仕事をさせていただきました。これは本当にうれしかったです。そして、その後は主にマネジメント関係を担当してほしいと言われました。適材適所ということです。

テンポスとPラボとでは、かなり違いましたか?

M もちろん業務内容が違うので、仕事の進め方も違いました。平川社長はまず仕事を任せる、やってみてどうだったのか具体的な言葉で振り返って、課題をはっきりさせた後で次の仕事に取り組んでいく、という感じでとにかく本人に考えさせるのが本当に得意なんです。ですから、仕事上の悩みが悩みでなく、すべて課題に変わっていくんですよ。その課題に対して解決する方法を考え、スケジュールを立てて順番に取り組んでいく。わかりやすいですよね、そうやって自分のどこを伸ばしていくべきなのかがだんだんわかってきました。

そこをもう少し具体的にお願いします。

M 一言でいえば、自分には個の力はない、というのがわかりました。そして周囲の人を前向きにさせるのが得意だってこと。3か月を過ぎたころから満席FAXの仕事を手伝うこととなり、大手クライアントの大口の仕事を任せられることになりました。とても一人でできる仕事量ではなく、新卒を中心に6人のチームでやりました。結果は大成功でクライアントからもとても高く評価していただき、信頼されました。

一つの仕事が水越さんを変えたのですか?

M 仕事って立場が人を育てると思います。まず部下にやらせて、失敗して経験値を得る。そのなかで、人を前向きになるように持っていくのが僕は得意なので、チームを引っ張っていくマネジメントをやっていきたいと思うようになりました。

すべては平川社長との出会いがあったから?

M もちろん、平川社長のおかげで立ち上がることができたと思います。しかし、今の自分があるのはテンポスで作った育歴のおかげです。仕事に挑戦して、途方に暮れる。テンポスでは毎日がこの繰り返しでした。そのおかげで僕の育歴は作られたのだと思います。人の気持ちがわかって、人を前向きにさせる水越一樹になれたんですよ。

Pラボの若くて元気な社員たちとの出会いも大きかったのでしょうね?

M これまで何度か転機があったのですが、毎回人との出会いがあって助けていただいたように思います。不思議ですよね、人との出会いって。すべては必然のように思います。だからいまはここにいる若いメンバーと一緒に仕事をしているのも必然だと思って頑張っています。

以上、一か月の休職を経て、現在はプロフィットラボラトリーの取締役をされています水越一樹さんでした。